『悪霊』より

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「実を言うとね、あのいまいましい女の腐ったような男とは、ぽくは親友でもなんでもなかったんだよ」怒りに身をふるわせながら、やはりその晩、ステパン氏は私に愚痴りつづけた。「ぼくはまだ少年だったころから、あの男を憎みはじめていてね……むろん、向うもぼくに対して同じ気持でね……」
 ユリヤ夫人のサロンはたちまち人でいっぱいになった。ワルワーラ夫人はとくに気がたかぶっていて、平静をよそおうとつとめてはいたものの、二、三度、カルマジーノフには憎々しげな、ステパン氏には怒りに充ちた視線を投げたのを私は見のがさなかった。これは先を見越した怒り、嫉妬と愛情から出た怒りと言えよう。もしステパン氏があの席で何か間の抜けたことを言い、一同の面前でカルマジーノフに一本取られるようなことがあったら、彼女はとたんに躍りあがって、彼をなぐりつけかかねまじい様子にさえ思われた。一つ言い落したが、この席にはリーザもいて、彼女がこれほどうれしそうに、なんの屈託もなく浮きうきと幸福そうにしているのを、私はついぞ見たことがなかった。もちろん、マヴリーキーもいっしょだった。それから、ユリヤ夫人の定連の取巻きを勤めている若い婦人連やいくぶん不良じみた青年たちの間に、____この仲間ではその不良じみたところが快活さと、安っぽいシニスムが才知とされているのだが、____私は二、三の新顔を見いだした。どこかよそから来た、ひどく落ちつきのないポーランド人と、ひっきりなしに自分でウィットをとばしては、大声でそのウィットに笑い興じている矍鑠たるドイツ人の老医師と、もう一人は、ペテルブルグから来たまだひどく年の若い公爵で、おそろしく高いカラーをつけ、さも国家的大人物でもあるかのように取り澄ました、自動人形さながらの男であった。しかし、見たところ、ユリヤ夫人はこの客をたいそう徳としていて、自分のサロンがどういう印象を与えるかを気にしてさえいるふうであった。
「シンアイナル・ムシュー・カルマジーノフ」ステパン氏は、絵に描いたようにゆったりとソファに腰を落ちつけると、急にカルマジーノフに劣らぬ舌たらずな物言いで口を切った。「シンアイナル・ムシュー・カルマジーノフ、われわれ旧時代に属し、ある信条をもちつづけた人間の生はですね、二十五年の空白をおいてもなお、単調なものに見えるに相違ありません…・‥」
 ドイツ人が、まるで馬のいななくように、おそろしく大きな声でからからと笑いだした。明らかに、ステパン氏が何かとびきり滑稽なことを言ったものと思ったらしい。こちらは、わざと驚いたような顔をよそおって、彼を見返したが、これはなんの効果ももたらさなかった。公爵も、例の高いカラーごとドイツ人のほうを振向いて、鼻眼鏡ごしに見やったが、その顔にはつゆほどの好奇の色も浮んでいなかった。
「……単調なものに見えるに相違ありません」ステパン氏は、一語一語をできるかぎり長く、傍若無人に引きのばしながら、わざとこうくり返した。「この四半世紀の私の生活もやはりそのようなものでした、ソレニ・イタルトコロ・道理ヨリ・坊主ノオオイガ・ヨノナライでして、私はまたこの諺にまったく同感なものですから、さようなわけで、この四半世紀の私の生活は……」
「ボウズダナンテ・ステキジャアリマセン」ユリヤ夫人が、すぐ横にすわっていたワルワーラ夫人のほうを向いて耳打ちした。
 ワルワーラ夫人は誇らしげな眼差しでこれに答えた。しかしカルマジーノフは、このフランス語の警句の成功を腹に据えかねたらしく、早口のきんきん声でステパン氏をさえぎった。
「私なんぞ、もうその点は不惑の心境でしてね、これでもう七年カルルスルーエに引きこもっております。現に去年、市議会が新しい水道敷設を決議したときも、私はこのカルルスルーエの水道問題のほうが、わが愛する祖国のあらゆる問題よりも、はるかに身近で大事なものだということを、心底から感じたような次第です……こちらのいわゆる改革時代の全期間を通じてですね」
「同感せざるをえませんな、私の心情にはそむくことですが」ステパン氏は、意味ありげに首をかしげながら、ほっと嘆息をもらした。
 ユリヤ夫人は得意満面だった。会話が深みのある、傾向を帯びたものになってきたからである。
「水道というのは下水道ですか?」医者が大声でたずねた。
上水道ですよ、ドクトル、上水道です。で私はそのとき設計書を書く手伝いまでしたものでした」
 医者はげらげらと高笑いをはじめた。それにつづいてかなりのものが、今度はもうあからさまに医者のことを笑いだしたが、医者のほうはそれに気づかず、みなが笑っていることにいたく満足の態であった。
「わたくしには賛成いたしかねますわ、カルマジーノフさん」ユリヤ夫人が急いで口を入れた。「カルルスルーエはそれとしましても、あなたは神秘めかすのがお好きですけれど、今度はわたくしたちもその手に乗りませんことよ。ロシア人のなかで、ロシアの作家のなかで、あれほど数多くの現代的タイプを捏示なさり、あれほど多くの現代的問題を見いだされ、現代の活動家のタイプを構成している主要な現代的特質を指し示されたのはどなたでしたでしょう〜 あなたですわ、あなたおひとりで、ほかのだれでもありませんわ。そうでいらっしやるのに、祖国に関心がないとか、カルルスーエの水道に非常な関心をそそられるとかおっしゃるつもりですの!ほ、ほ!!」
「そう、たしかに私は」とカルマジーノフが舌足らずな物言いをはじめた。「ポゴージェフのタイプにスラヴ派のあらゆる欠陥を、ニコジーモフのタイプには西欧派のあらゆる欠陥を提示しました……」
「あらゆるとおいでなすった」リャムシンが小声でつぶやいた。
「でもこれは片手間に、いわばなんとかしてあのうんざりするような暇をつぶすために、それから……例のうんざりするような同国人のさまざまな要求を満足させるためにやったにすぎんのですよ」
「ステパン・トロフィーモヴィチ、あなたもたぶんご存じでしょうけれど」とユリヤ夫人は有頂天になってつづけた。「あす、わたくしどもはすばらしい詩を聞かせていただけますのよ……セミョーン・エゴーロヴィチ(訳注カルマジーノフ)の優雅な文学的霊感にあふれた最近作のお一つで、『メルシィ』という題ですの。で、このお作のなかで、今後はもうお書きにならない、どんなことがあっても、たとえ天使が空から天降ってくるようなことがあっても、と言いますより、全上流社会が決心を変えるようお願いしてもお書きにならないということを宣言なさるんです。つまり、永久に筆を折られるので、この優雅な『メルシィ』は、これまで幾十年もの間この方が誠実なロシアの思想にたえず尽されてきて、一般読者がいつもそれを変らぬ歓喜で迎えてきたことに対して、感謝の意味で書かれましたの」
 ユリヤ夫人は幸福の絶頂に立っていた。
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